焦りについて
朝から気が重い。なんなら体も重いし、息は荒い。
ベッドで目覚めるといつも最初に壁掛け時計を見る。寝起きの上、あまり目が良くないので、ちゃんと見えてくるまでじっくりと見る。白んだ視界がだんだんクリアになってくる。
今日は何時に起きれたかな。
朝を迎えた実感と、ほんの少しの幸福感を感じるこの時間が好きだったりする。
今日を除いては。
今日は時計を一目見た瞬間から時計の針の位置がおかしかった。いつも家を出る時間が7時半、現在時刻午前8時。つまりそういうことだ。
僕は寝坊をした。
そこらに落ちてた服を荒々しく着て、家を飛び出した。ドアを開けるといつもよりほんの少し高い位置にあるであろう太陽が、まだ少ししらんだ視界に飛び込んできた。いつもより眩しく感じた。寝坊した僕に対する彼なりの嫌味かも知れない。
全力で自転車をこぎ、電車に飛び乗る。焦る気持ちは速度を上げ、今は電車より速く走っている。
そして最後の信号待ち、気持ちは起きた時より重く、叩き起こされた右足は少し痛んでいた。
早起きの子供が信号待ちに飽きて歩道に座り込んでいる。スーツ姿の大人たちは静かに歩行者用信号を見つめている。僕はその大人達の中で多分一番焦っていて、座り込んだ子供より青信号を待ちきれない。
待つことを覚えて、焦ることをしなければなくなった時。人は大人になって行くのかもしれないと思った。小さなため息が漏れた。
憂鬱で昨日よりすこし増えた体重と右足の痛みを携えて、僕は青信号を渡る。