じっと手を見る

毎日に気づきと発見を 日記っぽいエッセイ

電車の恐怖について

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 その日は久しぶりに大雨が降った。しばらく晴れ続きだったのでまあ仕方ない、我慢しよう。草木はこの雨を吸って枝葉をこれでもかと伸ばすんだろう、そして夏が来る。季節の移ろいは早い、歳を取るごとに早くなる。

 

 歳をとったといえば、最近電車に乗ると歳をとったなあと感じる。

 

 僕の実家は田舎である。岡山県津山市、しかもその津山市のさらに北の方の山の中で幼少期を過ごした。こう書くとハイジみたいだ。田舎だけどいいところなので暇な時にでもGoogle earthで見てみてほしい。田舎だよ。

 

 田舎で最も使われる移動手段は、言わずもがな自動車だ。無いと生きていけないレベル。だって最寄り駅まで10キロはあるんだよ?それって最寄りって言える?とにかく僕はそんなところで育った。

 

 高校に入り岡山市の方に出るまで、僕は電車にの乗り方を知らなかった。切符の買い方が分からなくてあたふたしたのを今でも覚えている。大阪に出てから、電車で学校へ通う小学生達を目にして僕は恐怖すら感じた。そんな田舎で育った僕が、今日みたいに電車で仕事に向かうと想像していたはずもない。

 

 満員電車なんてテレビの中だけの話だったし、ましてやそこに自分が乗り込むなど昔の僕が聞いたら、自分の未来に絶望して田舎から出ずに、米を作ってさぞ幸せに暮らすことだろう。だから僕は電車に乗ると歳をとったなあと思う。

 

 大人になった今でも電車は慣れないし好きじゃない。特に満員電車は。そもそも満員電車が好きな人なんていないだろうけど。僕は満員電車に恐怖を感じている。

 

 考えてみてほしい、乗車率120%の時の一車両に乗った生命体の数。箱にすし詰めにされた人間たちが、運ばれて行く。

 

ドナドナだあ!ドナドナされてるよ!

 

つい考えてしまう。そういう時は出来るだけ悲しい瞳で外を見るようにしている。

 

 そして駅に到着するたびに感じる人々の圧。その駅で降りようとする人達の視線、形のない意思。駅に近づくごとにドアの前に集まる人々のエネルギー。そういう時の人間は個人では無くなる、例えるなら雪崩、津波。意思を持った大きな塊がドアに向かってエネルギーの矢印を向けている。一人一人の小さなエネルギーは集まって大きな塊となる。ドアの前に側に立つとより感じる。沢山の人に銃口を向けられたようなあの視線。寒気がするほど恐ろしい。

 

 ドアの前に集まった巨大な塊がドアが開いた途端にゾンビ映画のごとく外に押し出される。物理的にもそうであるが、僕はその意思のほうが余程恐ろしい。巨大な元気玉を目の前にした魔人ブウの恐怖。僕は分かる気がする。

 

 そして自分もその中にいること。仕方がないことだが、恐ろしい。都会の荒波に巻き込まれ、挙げ句の果てに人は都会の荒波になるのか…。いい感じに諸行無常である。  

 

 流されないように踏ん張るもよし、また流れてみるもよし。でも大事なのはその二つを自分で自覚して選べることではないかと思う。人の波に押しつぶされない自分があれば良いんだよ。

 

そう思って今日も電車に乗る。

 

だけど怖いものは怖い。