じっと手を見る

毎日に気づきと発見を 日記っぽいエッセイ

雨降りの引力について

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 しとしと。

 

 うん。まさにしとしとが似合う雨である。こういう雨なら愛せるのに…。

 

 そんな僕はわがままかしら?

 

 ベランダに干してきてしまった洗濯物のことは一旦置いておいて、窓の外を見つめる。朝の10時12分の太陽は、雨雲のフィルターを通して濡れた芝生を照らしている。芝生の真ん中に置かれたミロのビーナスのレプリカ。雨に降られて色気を増した彼女ら、その白く滑らかな体に張り付いた汚れを落としながら、真新しい汚れを付着させている。

 

 美しい。寂しそうだから余計に。

 

 この雨は彼女の涙かもしれない。

 

「私だって泣きたくなる日もあるわ。」

 

 そう言っているような雨である。

 

 しとしと。

 

 気づいた。当たり前だが雨は上から降る。地球の引力があるのでこればっかりは仕方ない。ニュートン万有引力の法則を発見する前からそうなのだから仕方ないのだ。と納得してみた。

 

 ニュートンも上から降る雨粒では気づかなかったのかしら?りんごではなくて。

 

  いや、遅かれ早かれ彼は万有引力の法則を発見しただろうきっと。

 

 そう、この雨も地球に引っ張られている。

 

 雨だって、降りたくて降っているわけではないのかもしれない。本当は雨雲と一緒に風に吹かれて旅をして、いずれは海の上なんかで自然に帰って行きたいのかもしれない。

 

 でも、粒が大きくなりすぎるとやはり地面に落ちていってしまうのだ。こればっかりは仕方ない。なんとも可哀想な雨達だこと。

 

 落ちている最中も、あるいは必死に手を伸ばして雲に戻ろうとしているのかもしれない。ピチョンと小さく叫び声をあげながら、地面に墜落する雨粒達。

 

 ああ、あなた達は自分で泣けない代わりに、みんなを濡らして泣かせてるのね。

 

 あらあら、随分と悲しい景色に見えてしまった。お線香の代わりに濡れた芝生の匂いがする。清々しいしいお葬式。

 

 遠くの雲の隙間から、太陽が差し込んでいるのが見えた。まだまだ元気はないが今日も太陽は雲の上で輝いているようだ。

 

 落ちていった雨達を弔うように、雲達が光が差すようにはからったのかもしれない。綺麗だ。

 

 さあ、帰って洗濯物を取り込もう。そして洗ってもう一回干そう。今度は雨達の悲しみが聞こえない日に。