じっと手を見る

毎日に気づきと発見を 日記っぽいエッセイ

来た。四半世紀。

こんばんは。お久しぶりです。

私、矢野渡来偉。今日が25歳のお誕生日でした。

沢山の方にお祝いしていただいて、くすぐったくなるような1日でした。

皆さんありがとうございました。

 

ところで、一体いつぶりの投稿なんだと。どうゆうつもりなんだと。

と思うけど思ってんのはきっと僕だけなんで、あんま気にしないことにします。

 

25年、25年ですよ。これまで一度も死なずに25年間連続生還。

最近「スパーマリオメーカー2」の実況動画見てるから思うけど、死なずにここまで来てるのほんとすごい。

いろんな人のお陰で25年も続いたこの人生。まだまだ終われねえっす。油断はせず生きていこうと思います。

いつ足元からパックンフラワーが現れるかわかりませんからね。あと、隠しブロックにも注意せねば。

 

今日はもう寝ます。そして明日もきっと眼を覚ますでしょう。

でも明日は誕生日じゃあない、そんな悲しみがまっています。喜びが待っています。

 

あ、寝坊しないように気をつけなきゃ。

 

矢野渡来偉でした。

 

年末年始の皮算用

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 さて、今日で一年の仕事を終えた。明日の大晦日そして新年明けて来年の元日は休みである。なんとなく特別な二連休の気もして、なんのけない普通の二連休の気もする。さして予定もない上に特別にやりたいことがあるわけでもないので、取らぬ狸の皮算用に妄想を膨らませるのも一興だろう。

 

 まず、好きなことをやろうかと思う。読書か運動か、運動まではいかないものの長い散歩ってのもいいな。

 

 読書なら、買い溜めてある本を手当たり次第に読んでいこう。面白そうと思った本はついつい手が出てしまう、古本屋だからいいかなと言う考えに付け込こみ自分を甘やかす内に、気づくと五冊六冊は一度に買ってしまう。ただ、値段よりもはるかに高価なものを頭に入れることが出来るので、それはそれでいいかなと思っているけれど、そもそも読まないのではお話にならない。幸いどの本もきっと面白いものばかりだから、この年末年始の二日を使い大量に消費するのもいいんじゃあないでしょうか。

 

 いや待て、そんなにじっとしていられる性分じゃあ無いし、ちょっとお腹の肉が気になってもいる。今年のエネルギーを使い果たす勢いで、また新しい年を勢い付ける意味も込めて運動しまくるのもいいかもしれない。寒いのは嫌いじゃないし、どうせ動いていたら暑くなる。水分補給とご飯にだけ気をつければ、体調を崩すほど体力がない訳でもない。そう言えば、走って見たいコースがない事もない、少し遠出になるが交通費や食費ぐらいはなんとかなるだろう。いいかもしれない。

 

 ううん。でもどちらもいつでも出来るのではないかと思ってしまった。別にそれでもいいんだけど、なんというか、人情としてはなんとなく勿体無い気がする。なんせ一年の結び、そして始まり。もうちょっと趣向を凝らしてもバチは当たるまい。

 

 散歩、散歩。散歩となると近所の神社を回って見るのはどうだろうか。初詣も兼ねて小さな冒険の旅もいい。徒歩範囲で行けるところをピックアップしておいて、寒空の下を背を丸めながらとぼとぼ行くのも年末年始なら悪くない絵になるかもしれない。なんせ正月だ、神社なんか人でごった返しているやもしれない、そう「人の集まるところに熱狂が渦巻く!」趣味は野次馬と自負する身としては、そう言ったところを見て回るのもいいだろう。趣味の欄に野次馬と書くくらいなのだから、それぐらいの野次馬根性がなくては!

 

 はて、ならばいっそのこともっと大きな祭りを野次馬してはどうだろう。もっと人の集まりそうなところとなると都会に出なければいけないか…。新年のカウントダウンイベントとかに乗り込んで行って熱狂の当事者になるか?羽目を外すのは考えものだが、外している人々を見るのは楽しいと思える。なんせ一年の最後にして次の年の最初のお祭り、今宵ばかりはと湧き出てくる人の熱狂を観に行くのはさぞ楽しかろう。面白そうだ。

 

 ただ…ただである、僕が一年のうちで一番好きなのは正月だ、正月が楽しみで僕はこの三ヶ月を頑張ったと言っては言い過ぎかもしれないが、それくらいに正月が好きだ。なんならそこがグラフの頂点で、そっからテンションは徐々に右肩下がりなのが我が一年。正月好きとしては、熱狂の中で年をエイヤッと越すよりも、「ああ、越すなぁ。ああ…明けましておめでとうございます。」と越したい気持ちもある。

 

 悩む。しかし、まあ皮算用である。いくらでも思い浮かんでくれて一向に構わない。だからこその皮算用だ。どうせただの休日になるだろう、という思いと、いやしかし…、という思いを巡らせながら、いつもの素敵な休日がやってくるだろう。一通り考えて膨らますだけ膨らませておけば、なるようになるしどうなったところで納得するだろう、それでいい。どうせ一年の終わりである、今年一年に思いっきりピリオドを打つ他、来年に漕ぎ出すことはできない。

 

 ある意味では納得、ある意味では後悔に当たる大晦日。そして大いなる希望と、根拠のない清々しさを抱く元日の朝。どちらにしても楽しみでたまらない。

悲劇的惣菜パン

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 改札に通ってホームへの階段を降りると、正面に窮屈なコンビニがあって店先に売れ残ったパンがポツポツと並べてあった。

 

 ランチパックっぽいやつのありがちな味。あんまりボリュームのないハンバーガー。ベーコンエピ。三個入りの小さなハムロール。

 オレンジ色の光に照らされたかわいそうな惣菜パン達は、どことなく力なく棚に置かれている。

 例えるなら観客の居ない舞台の上にポツンと取り残されているような…祭りの後の静けさのような…。そんな哀しみを惣菜パンは背負っていた。

 

  一人だけでも救出しようかと思ったけど、財布の中身も十分に悲劇的であったし、残念ながら1つも美味しそうに見えない。同情はしても美味しそうでもないのに食べてやる義理はないと思い、自分の心の狭さを自覚しながらその場を去った。

 

 その時の僕は惣菜パンに感情移入出来るくらいには疲れていたかな。勝手だがあの惣菜パン達には強く生きて欲しいと、そう思った。

 

クリスマス見学

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 子供達の枕元にサンタクロースがやって来る頃、僕は駅から家までを全力で走っていた。

 

 駅からは一目散に帰ったが、実は同じ電車に乗っていた人たちの中で一番最後に改札を出た、というのはなんだか家に帰りたくなかったからで、これはまずいぞと思った。本当に帰りたくなくなって徘徊でもしでかしそうなくらいの熱気が自分の中でまだ渦巻いていたので、一目散に家まで逃げ帰ったのだ。

 

 事の起こりはバイト終わりに偶然にも大学時代の友人に出会った事による。彼は今東京で活動しているのだが、クリスマスは家族と過ごすのが恒例の行事らしくたまたま大阪に帰省していて、しかも僕のバイト先のすぐ近くで食事をしていたらしくちょうどいい具合に出会えたのだ。

 

 驚いて、それこそ息が止まるほど驚いたのだけど、声をかけると向こうはそこまでではないらしく何だか拍子抜けした。彼曰く、「会えるんじゃないかと思ってた」らしい。超然的である。

 

 よってクリスマスイブは彼と一杯やることになり、僕たちは夜の新梅田食堂街に吸い込まれて行った。彼が好きそうだと思ったので僕が案内した。僕たち二人の波長が一番会うとすれば、恐らくこうした冒険心にあるだろう。

 

 新梅田食堂街の魅力は計り知れない。ガード下に所狭しと並んだ飲食店、迷路のような通路、低い天井、角を曲がるたびに匂いが変わり食欲をそそる。電車が通るとそこら辺中が揺れ、真上を電車が通っているのを感じながら酒を飲む。

 

 しかし、そこを真っ直ぐ抜けた先は阪急百貨店の真下になっていて、教会のように高い天井の下を沢山の人が行き交っているのだ。そちらはすごく文明的で明るいく、まるで食堂街とは質がちがうハイソな空間。人の流れがあるとするなら、間違いなくそちらが本流なのだろう。だがやはり人の熱気で言えば、安っぽくて暖かくて何だか懐の深さを感じる食堂街の、あの小さな入り口から流れ出ているものの方が熱いのだ。 この二つの空間を行き来するのは、色の違う川がぶつかるのを見ているようで本当に楽しい。

 

 こういう小さな冒険が二人とも好きで、熱気を求めて当てもなく彷徨うことを彼が大阪にいた頃は二人でよくやっていた。

 

 飲みながら彼の東京での話を聞いた、面白かったのは渋谷のハロウィンだ。毎年テレビで見るあれに彼は今年突入して見たらしい。野次馬である。その話に何だか憧れてしまった僕は気づく。今日がクリスマスイブなのだと。僕も熱気渦巻く街を野次馬して見たくなったのだ。彼を誘うと快くオーケーしてくれた、まあもっとも断られるとは微塵も思っていなかったけれど。

 

 僕たちは食堂街を出て阪急百貨店の下を抜けた。雨が降る中、小走りに信号を渡り繁華街を練り歩く、クリスマスイブを野次馬しに行くのだ。

 

 沢山の人の群れに逆らうように進んで行く、それだけでも十分クリスマスイブという祭りの雰囲気を楽しむことができた。みんな楽しそうではあるが羽目を外して騒ぐような人はほとんどいない、クリスマスの厳かな雰囲気も残しつつ楽しんでいるようだ。野次馬しにきた身としてはもっと白熱していても面白いと思ったけれど、祭りの雰囲気を感じて歩くのもまた一興である。

 

 野次馬根性として、キャッチには積極的に引っかかる。どんな物語があるか分からないからだ。そして金が無いから決して引っかかったりはしない。だがクリスマスイブのキャッチは面白かった。

 

 繁華街を奥まで歩くと何やら怪しげな店もちらほら出てくる。どうやら抜け切った先にはラブホ街があるらしく周辺に風俗店が多いようだ。最初のキャッチキャバクラのお兄さんサンタだった。
「お兄さんたち!キャバクラいかが?お姉ちゃんいっぱいだよ!」とサンタさんが言うので何だか笑ってしまった。こちらが、
「サンタさんはそんなこと言っちゃダメですよ」というと、
「お兄さん達に夢を配るのが、サンタクロースの仕事ですから!」と胸を張られた。随分と大人になってしまったなと思った。

 

 数十メートル置きにキャッチのお兄さんが立っていていろんな声かけをされた、どの人も気さくで面白い。一人だけ全く声を出さずに全力で体を使い、仕草だけで無料案内所に連れ込もうとするお兄さんがいて、舞台に立つ俳優としてあの身体表現は好印象だった。

 

 残念ながら繁華街を抜けてしまうと面白いものは無くなった。雨も強くなってきたので今日は大人しく帰ることにした。帰りがけに彼に明日の予定を尋ねると明日も時間があるらしい。そしてその明日というのはクリスマスであるのだ。さらなる熱気を求め明日は道頓堀を二人で野次馬することを約束して別れた。

 

 自宅の最寄り駅ついたのが日付けが変わる直前。体の中の熱気と明日へのワクワクで帰りたくなくなって仕方なく逃げ帰った。そして今年のクリスマスから趣味に野次馬を追加することを決めて、なんとか眠りについた。

無いならないでいいについて

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 今朝もコンビニへ寄って暖かいブラックコーヒーを手に取る。この暖かさがみにしみるたび、外気の冷たさに気付く。


 市販のコーヒーの甘さ控えめって実際かなり甘いわね、社会人なって余計甘い気がする。だからいつもブラックコーヒーだ。世間の甘さ控え目なんて本当に甘さ控え目だよ、そこを図り違えちゃうとそれこそ見込みが甘いってもんだ。苦笑。

 

 はあ、社会に大して貢献もしてない奴が、上手いこと言おうとしたってつまんないや。自虐的嘲笑。
 

 無いならないでいいブラックコーヒーをいつも飲んでしまうっていったい何なのかしら。

 

 きっと理由なんてないんだろうなあ。でもコンビニの店員さんとかもう覚えてるだろうなあ、とか考えてちょっぴり恥ずかしくなった。でもやっぱり手を離さないままレジまで持っていくと、今日もいつもの店員さんだった。

 

 ううむ、げんかつぎみたいなもんか。毎朝電車に乗る前に腹ん中に入れてるブラックコーヒーと、それが原因の胃もたれ。この二つが僕の生活に必要な荷物なのかもしれない。

 

 いや、かっこつけてるみたいで恥ずかしい。やっぱりただのカフェイン中毒くらいでいいや。

 

 やっぱりこのブラックコーヒーは無いならないでいいもの。でも気付いたら今朝も飲み干してるんだよな。

夜霧とスキップについて

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 昼間降っていた雨は夕方には止んで、仕事から終えて帰る頃には霧になっていた。遠くが少し霞んで見える。ロンドンの夜のようだ、行ったことがないので真偽のほどは定かではないけれど、ジキルとハイドを読んだときはちょうどこんなイメージで読んでいた。霞がかかった街灯は綺麗な色。素敵な天気なのだけど適切な語彙が僕にない。日本語の雨に関する語彙は驚くほど多いのになあ。なんだか悔やまれる。 ため息をつくと、そいつも白かった。

 

 最近めっきり冷え込むようになったと思う。やはり11月ともなるとそれなりに寒さを感じる。先日寒さで目覚めて窓の外に目をやると真っ青な晴天の空だったので、「今年最初の放射冷却だなあ」と毛布の中で寒さを噛み締めて、というか実際に発音して、そして二度寝した。

 

 実は「放射冷却」という言葉か好きで日常でもよく使う。子供頃から好きだ。小学校低学年くらいの時に母から教わった記憶がある。僕は寒さには強い方なので、少々寒くたって快晴の青空が気に入っていた。どうやら昔から極端に青空が好きだったみたいだ。地元岡山県北部の冷え込みに比べたら大阪の冷え込みなんて大したことないので、ここ数年は放射冷却万歳だ。

 

 そういえば地元岡山県北部に位置する津山市は周りを山に囲まれた盆地であるので、冬になると霧がすごい。まさに濃霧、教科書に載せても恥ずかしくない濃霧。今日の夜霧なんて地元に比べたら、雲泥の差、月とスッポン、温水洋一とB'zの稲葉(ちなみに二人は同い年)。比べようもないほどに地元津山の霧は濃い。何しろ10m先がやっと見えるくらいの濃さだ。そんな中自転車を漕いで学校に行くと、制服に霧が凍りついたりしていた。当時は濃霧の中全力で坂道を下ったりしていたが、どうして事故に遭わなかったのか今となっては不思議だ。

 

 一体何の話だ。夜霧の話から大きく脱線している。そう、その夜霧の中を歩いて帰宅途中に面白いもの、というか楽しげなものを見た。

 

 家の近所まで来たところで角から中年の夫婦が現れた。どうやら散歩のよう。すれ違った後に足音が大きくなったので振り向くと、何やら奥さんが楽しげにスキップしていて驚いた。街中でスキップする大人が僕以外にいるなんて…。それは流石に買いかぶり過ぎかな?

 

 旦那さんも楽しそうだった。大人のスキップってなかなか見ものだ。馬鹿にしてるわけじゃないですよ、でもなかなか見られないでしょう?

 

 なんだか素敵な光景で心が少し温まった。

 

 何となく僕もスキップして帰ったら、楽しかったし体もあったまったのでおススメ。大人のスキップ入門である。